御神徳

御祭神は「えびすさん」「西の神さん」と申し、商業漁業の守護神としてのみならず、幼にして親を離れ未熟な体ながらも研鑽され立派に大成した生い立ちと御事績から、「子供の守り神」として県内外から崇敬を集めています。

 

相殿の神 大国主大神は大黒様として知られる国造りに大効を立てられた神で、当神社では瘡(かさ)神様と称えられ、太古より病を癒す神として伝えられています。

 

陶津耳之命はこの郷土末野(陶恵又は須恵)の産土の神として祀られています。往古(約千三百年前)よりこの地には祝部(はふりべ)土器、須恵器が産出され、陶業を司る祖神、文化発展の神として崇敬されています。

書物に伝えられる由緒・伝説等

各誌より、当神社に関する記述をここに紹介致します。古い書物より転載しているものもあり、現代と漢字かな使いが異なる場合もございますがそのまま記載しております。

(養老年間当神社縁起書)

 元正帝養老二年甲子九月二十八日蛭子之神を祝い祀り養老三年三月二十三日社殿を祭る。

(延宝年間若狭県誌)

 西神社末野村にあり、陶の字をいつの頃か末野と書す。祭神は蛭子と伝えられ恵比須を祭る。養老二年九月二十八日神霊末野村の南面神ヶ谷の桜樹の下に顕われ、同三年三月二十三日社を建て正保二年酒井忠勝公祈願により鳥居を建立せられる。

(寛延二年若狭国志)

 西神祠末野村に在り須恵野村とも記す。社記に曰う養老二年九月二十八日垂跡、三年乙丑三月二十三日祠を垂跡の地に建つ。祭神は蛭子、一説に恵美須として民間蛭子を以て恵比須と誤って同神と為す故に分明ならず。又祠の側に小祠有り。瘡神と称え大己貴命を祭る。創建同じ。社家蔵に養老三年乙丑九月書す処の社事記一軸巻末に政所公文等の姓名押を叙書す。正保二年我少将忠勝公華表を建つ。以て此祠の来由を愚接するに之を考れば則ち式内(醍醐帝延喜式神名帳)に当載さる所にして今拠所無し。此の村今三方郡に隣れる或は須部神社か。

(寛文七年若州社寺由緒記)

 

 西神社 二間四面 養老二甲子九月二十八日神ヶ谷桜の木の本に宝鏡戸張千早此三種忽然と有之。その時風神荒し故木動揺して不思議多く。貴賤男女打寄り彼の三種の神威を拝し、奇異の思いを為しけるが中に、一人の婦人俄かに狂乱して樹下に走り寄託宣して曰く我は是れ西の宮の恵比須三郎也。この地に社殿を建立すべし。此の婦人則ち当たるべしと託し給ふ。之に依り養老三年乙丑三月二十三日本社拝殿等建立し春秋の祭礼三月廿三日九月廿八日之を祭る。其れ以後春秋共に近郷越前などより夥しく参詣有之候。